こんにちは、キジくんケンケンブログのキジけんです、ケンケン。
兎は匹で数えても羽で数えてもかまいません。
「匹」や「羽」のようなものを助数詞と言います。
兎を数えるための助数詞は「匹」でも「羽」でもよいということです。
まあ当たり前と言えば当たり前です。しかし、「羽で数えるのが常識的です(匹で数えるのは野暮です)」みたいなことを言う人がいるので、「匹でもよい」ということは強調しておきたいと思います。
そもそも兎を羽で数える理由ははっきりとしていません。
一説によると、仏教の教えから四つ足の動物を食べることができなかった時代に、ピョンピョンとび跳ねる兎を鳥とみなして食べた、とのことです。
しかし、僕たちは、そのような時代に生きているのではないし、仏教の教えに則るかは人それぞれ・鳥それぞれです。
それから、魚も鳥も、匹で数えて結構です。
キジである僕がいいと言うのだから、匹で結構です。勿論、鳥を羽と数えたい人のことを止めたりはしません。
僕が自分たち(キジ)のことを匹で数えようと、羽で数えようとどちらでもいいことです。
まあ、僕(キジ)の祖先も、寺子屋に呼ばれて、兎と一緒の小屋に入れられて、「兎とキジは合わせて○羽、足の本数は合わせて○本です。では、兎とキジは何羽ずつでしょう」とやった(かどうかは知らない)けど、そういうときは、「羽」で共通して数えるのも結構です。
だけど、それなら、匹で共通して数えてもいいと思うのです。
これが鶴と亀だと、鶴を匹で数えてはならんという人は、「鶴と亀は合わせて○匹、・・・」とはならず、「頭の数を数えると○個で、・・・」という表現になります。あるいは、「頭の数を数えると10で、・・・」というように助数詞を付けないということになります。
この場合、「頭の数を数える」という動作を表す表現を使っているため、「頭の数を数えているうちに、それぞれを数えればいいのでは?」という疑問も浮かびます。
このような鶴亀算は、人と豚でもいいはずです。しかし、人と豚を合わせて数えるというのは多くの人にとって違和感を生じると思います。
確かに、物の数え方は、「兎は羽で数えろ、何とかは何で数えろ」というように、何は何で数えろと決まっているという側面もあります(というか、そういう捉え方をされることが多いです)。
しかし、むしろ、数える対象をどのように認識しているか、という認識の仕方を表しているとも言えます。
例えば、動物を1個・2個・・・と数えないのは、個で数えるものとは違う扱いをするという認識を表していると言えます。
僕は男一匹、このように考えたのであります。
以上です、ケンケン。