こんにちは、キジくんケンケンブログのキジけんです、ケンケン。
「重複」は「ちょうふく」と読むのが本来正しい。
なぜなら、「重」という漢字は、
「重い」「重み」という意味のときは「じゅう」と読み、
「重なる」「はばかる」という意味のときは「ちょう」と読むからである。
従って、「重なる」意味の重複は「ちょうふく」である。
このような説が流布されているようですが、これは本当でしょうか。特に「重複」の読み方を中心に考察します。
本稿の結論は次の通りです。
「重複」の正統な読み方は「ちょうふく」とされている。
しかし、「じゅうふく」と読むのは誤りであるという説は根拠が薄い。
冒頭の説に合致するもの・しないもの
冒頭の説をもう一度載せます。
「重複」は「ちょうふく」と読むのが本来正しい。
なぜなら、「重」という漢字は、
「重い」「重み」という意味のときは「じゅう」と読み、
「重なる」「はばかる」という意味のときは「ちょう」と読むからである。
従って、「重なる」意味の重複は「ちょうふく」である。
「重」の読み方は、本当にそうなっているのか検討します。
この説に合致する例
「じゅう」と読み、「重い」「重み」という意味の熟語
重力(じゅうりょく)、体重(たいじゅう)、重量(じゅうりょう)、重税(じゅうぜい)、重罪(じゅうざい)、重厚長大(じゅうこうちょうだい)、重大(じゅうだい)、重油(じゅうゆ)
「ちょう」と読み、「重なる」という意味の熟語
重畳(ちょうじょう)、重陽(ちょうよう)、偏重(へんちょう)、重年(ちょうねん)、
「ちょう」と読み、「はばかる」という意味の熟語
自重(じちょう)1、慎重(しんちょう)
この説の反例
「じゅう」と読み「かさなる」という意味を持つ熟語
重婚(じゅうこん)、 重言(じゅうげん)、重箱(じゅうばこ)2、重縁(じゅうえん)、重版(じゅうはん)、重根(じゅうこん)、重重(じゅうじゅう)(重々承知など)、重説(じゅうせつ)、重層(じゅうそう)(重層構造、重層的)、二重(にじゅう)(二重母音、二重国籍など)、五重(ごじゅう)(五重の塔)、重刷(じゅうさつ)、重唱(じゅうしょう)、重葬(じゅうそう)、重訳(じゅうやく)
「ちょう」と読み、「重い」「重み」という意味を持つ熟語
軽重(けいちょう)(鼎の軽重)、荘重(そうちょう)、重事(ちょうじ)、
「じゅう」「ちょう」両方の読み方がある熟語
重用(じゅうよう、ちょうよう)、捲土重来(けんどちょうらい、けんどじゅうらい)3、重恩(じゅうおん、ちょうおん)、重出(じゅうしゅつ、ちょうしゅつ)、重祚(じゅうそ、ちょうそ)、重訳(じゅうやく、ちょうやく)、
漢和辞典での説明
『漢字源』による説明
手元の『漢字源 改訂第六版』で「重」の説明を見てみます。
「重」は大きく[一][二]4の二つの意味に分かれます。
[一][二]というのは、音の違いが意味に及ぶことを意味します。
漢語(中国語)としての発音は[一][二]で異なります。
ここで、[一]が「ジュウ」で「重い」の意味、[二]が「チョウ」で「重なる」「大切にする」「はばかる」の意味5であるならば、この説は正しいということになります。
しかし、そうはなっておりません。
まず、[一][二]それぞれに、呉音「ジュウ」6と漢音「チョウ」があります。
『漢字源』によると、意味と呉音・漢音は次のようになっています7。
重
[一]呉音ジュウ 漢音チョウ
①おもい。おもさ。↓の方向に力が加わった状態。
②おもい。病気・罪・声・やり方などがおもい。おもおもしい。手厚い。
③おもんずる。大切な物として敬い扱う。おもくみる。転じて、はばかる。
[二]呉音ジュウ 漢音チョウ
①かさなる。かさねる。②かさねて。
意味も、「重い」と、「重なる・大切にする・はばかる」とで分かれているわけではありません。
『全訳漢辞海』での説明
『全訳漢辞海第四版』での説明を紹介します。
『全訳漢辞海』は漢文を読むための辞書だけあって、とても詳しいです。そのため、現在の日本語の「重」という漢字の使い方とはほとんど関係ないような(現代の日本の国語としては)マニアックな意味も載っています。
そういうマニアックな意味に拘ることは本稿の趣旨に添わないので、省略します8。
重
[一]呉音ジュウ 漢音チョウ
①おもい(目方があるさま。手厚い。きびしい。大事な。)
②おもさ。
③たっとぶ。はばかる。
[ニ]呉音ジュウ 漢音チョウ
①かさなる。かさねる。②あらためて。かさねて。
漢和辞典の説明のまとめ
以上のように、漢和辞典を見たところでは、この説は正しくないようです。
意味によって読み方が変わるのはむしろ自然では?
漢字に呉音と漢音があり両方とも広く知られていても(漢和辞典から無理に探してきたような読み方でなくても)、それは一つの漢字を呉音で読む場合もあるし漢音で読む場合もあります、ということです。
一つの言葉を呉音・漢音の両方で読みますということはあまりないわけです。
「いや、「男女」は、「だんじょ」とも「なんにょ」とも読むでしょ?」
「「発足」は、「はっそく」とも「ほっそく」とも読むでしょ?」
確かにそうですが、それらはかなり例外的です。
そして、ある程度は「こういう意味の場合はこちらの読み方をします」という傾向のようなものは出てきます。
明の例
「明」という漢字では、「明日」(みょうにち)、「明後日」(みょうごにち)、「明朝」(みょうちょう)、「明春」(みょうしゅん)のように、「つぎの」「あくる」という意味では「みょう」と読みます9。
このとき、チャイナ(中国)での発音とは関係なく、
「つぎの」「あくる」という意味では「明」は「みょう」と読む
と判断することは、妥当だと言えますよね?
省の例
「省」という漢字は、「しょう」という呉音と、「せい」という漢音があります。
そして、行政官庁や行政区画では、「しょう」と読みます。
当然ながら、「省令」は「しょうれい」と読み、「せいれい」とは読みません。
「せいれい」と読んでしまったら、「政令」とごっちゃになってしまいます。
⇒「省」については、また後で出てきます。
幕の例
「幕」は「まく」という呉音と「ばく」という漢音があります。
「軍隊の本陣」や「幕府」という意味では「ばく」と読みますが、「覆い布」という意味では「まく」と読みます。
便の例
「便」は、「べん」という呉音と、「びん」という慣用音10があります。
「小便」・「大便」という排泄物の場合は「べん」と読みます。それに対して、「宅配便」・「便箋」など、運送機関の輸送や手紙という意味では「びん」と読みます。
⇒「便」も、また後で出てきます。
読み方で意味が分かれるとは限らない
日の例
「日」は呉音が「にち」、漢音が「じつ」です。
「年月日の日」「一昼夜」という意味では「日」は、「3月11日」(さんがつじゅういちにち)、「日刊」(にっかん)、「日給」(にっきゅう)、「100日間」(ひゃくにちかん)、「初日」(しょにち)のように「にち」と読むこともあります11。しかし、「休日」(きゅうじつ)、「終日」(しゅうじつ)、「当日」(とうじつ)、「後日」(ごじつ)のように「じつ」と読むこともあります。
「年月日の日」「一昼夜」という意味では、「日」は「にち」とも「じつ」とも読むと言えます。
しかし、「日本」の略の「日米」「日英」「日印関係」「日系」「来日」などの「日」は「にち」と読み、「じつ」とは読みません。
意味によって音読みが限られる場合と、限られない場合があります。
頭の例
「頭」は、「とう」という漢音と「ず」という呉音があります12。
「あたま」という意味では、「頭部」「頭髪」のように「とう」と読む場合もありますし、「頭痛」「頭上」「頭寒足熱」のように「ず」と読む場合もあります。
他方、「統率する人(かしら)」という意味では「船頭」「頭領」「頭目」「地頭」「教頭」「会頭」のように、専ら「とう」と読みます。
どんな意味でも呉音・漢音の両方が使われるわけではないですし、かといって、或る意味では両方使われるわけです。
装の例
装は「しょう」という呉音と「そう」という漢音があります。
「よそおい・衣服」という意味では、「衣装」「装束」のように「しょう」と読むこともありますし、「正装」「男装」「変装」のように「そう」と読むこともあります。
しかし、「機械・器具などをそなえつける」という意味では「装置」「装備」のように「そう」と読みます。
読みと意味は少しは関係するとも言えますが、そう言い切ってよいのかは不確実です。
木の例
「木」は、呉音が「もく」、漢音が「ぼく」です。
「立ち木、木材」という意味では「もく」と「ぼく」いずれも使われます。
例)
もく:「木造」、「草木」(そうもく)、「樹木」「木魚」
ぼく:「木刀」、「高木」(こうぼく)、「流木」(りゅう)、「銘木」(めいぼく)
しかし、五行説に由来する「木星」「木曜日」では「もく」と読みます。
また、「飾り気がない」という意味では、「木訥」(ぼくとつ)、「木石」(ぼくせき)、「木強」(ぼっきょう)というように「ぼく」と読みます。
このとき、五行説に由来する場合は「もく」と読み、「飾り気がない」という場合は「ぼく」と読むんです、とまあ、そういうことになります。
ただ、そう言い切ってよいのかは難しいと思います。
どう捉えるか
上記のような、「日」や「頭」のような場合について、
「年月日の日」「一昼夜」という意味の「日」は「じつ」と読むのが本当の読み方なのに、「にち」という読み方も広まってしまっているんですよねえ
とか
「あたま」の意味の「頭」は「ず」と読むのが本当は正しいのに、「とう」という読み方も広まってしまっているんですよねえ
と言われたら、オイオイ待てよ、と言いたくならないでしょうか。
はっきり言ってそれはおかしいです。
同字異音義
同一の漢字なのに、もともとのチャイナ(中国、シナ)での発音が複数あり、発音に応じて意味も異なるものを、同字異音義と呼ぶことにします。
「多音字」というものです。ただ、「多音字」というと、複数の読み方があるということが強調される一方で、意味も複数あるということはわかりにくいと感じます。
ここでは、チャイナでの発音も異なり、それに応じて日本での音読みも異なるものの例を挙げます。
同字異音義の例
易
「えき」と読むときは、「かわる・かえる・占い」などの意味です。例えば、「交易」(こう)は、「物品を交換する」ということです。
それに対して、「い」と読むときは、「たやすい・やすらか・手軽な」などの意味です。例えば、「安易」「平易」の「易」は「い」と読みます。
「えき」も「い」も漢音です。意味によって、発音が分かれていると言えます。
「えき」と読むべきときに「い」と読んだり、その逆はしません。もしやってしまったら、誤りということになります。
楽
「音楽」という意味では「がく」、「たのしむ」という意味では「らく」と読みます13。「がく」も「らく」も、呉音・漢音に共通です。(「どちらかが呉音で、もう一方が漢音」なのではありません。)
日本語における使い分けと同字異音義
上記の同字異音義(易、楽)の場合は、漢字の中でもともと音と意義に対応があります。
それに対して、上記の「明」や「幕」などの場合は、日本語において使い分けがありますが、漢字レベルで考えると使い分けは見られません。
意味から「重複」の読み方を正当化するのは難しいのでは?
「重」についてはどう考えるか
「重なる」の意味で「重」を「じゅう」と読む言葉はたくさんあります。また、「重み」という意味で「重」を「ちょう」と読む言葉も(多いとは言えないまでも)あります。
「重複」という言葉は、意味から「ちょうふく」が正しい読み方であると決めるのは難しいと思われます。
呉音と漢音
漢音は、遣唐使あるいは入唐僧が、みやこ長安で学んだ清新な文化とともに入ってきたものである。日本の政府も、持統天皇が、七世紀末に漢音を積極的に学ばせようとした。また、平安遷都の直前、桓武天皇による漢音奨励の勅令が出されるなどの動きを示した。それでも漢音は仏教経典の読み方や律令用語などにふかく根を下ろした呉音を、すぐに駆逐するにはならなかった。
(『全訳漢辞海第四版』「漢字音について」の一部記述を簡略化したもの)
呉音が残る分野 律令制
大宝律令(西暦701年)では、二官八省を基本とする体制が定められています。
役所を意味する「省」を「しょう」と読むのは呉音です。
「律令」(りつりょう)という言葉の「りょう」も呉音です。
「律令格式」の「格」は、「かく」という漢音を使って読んでも間違いではないですが、普通は「きゃく」という呉音で読みます。
呉音が残る分野 仏教
「修行」(しゅぎょう)、「経文」(きょうもん)などの仏教用語によく残っています。
尚、「上人」(しょうにん)は、漢音+呉音 であり、仏教だからと言って漢音が全く使われないわけでもないようです。
呉音が残る分野 その他
他には数字の読み方は呉音が優勢ですし、日常品で呉音で読むものもあります。
数字の読み方(「呉音・漢音」は両者に共通ということ)
一 いち(呉音)、二 に(呉音)、三 さん(呉音・漢音)、四 し(呉音・漢音)、五 ご(呉音・漢音)、六 ろく(呉音)、七 しち(呉音)、八 はち(呉音)、九 きゅう(漢音。呉音では「く」)、十 じゅう(呉音)、百 ひゃく(呉音)、千 せん(呉音・漢音)
漢文は漢音で読む?
「鼎の軽重を問う」の場合、「軽重」の「重」を「ちょう」と漢音で読むのは、素直に、漢籍に由来する言葉だから、漢音で読むのが普通だからでしょう。
類似事例「便」「省」について再考
「便」について再考
「便」について再考します。
先に述べた通り、「便」は「小便」・「大便」という排泄物の場合は「べん」と読みます。それに対して、「宅配便」・「便箋」など、運送機関の輸送や手紙という意味では「びん」と読みます。
では、漢字辞典を見ると、「べん」と「びん」とで読みと意味が対応しているのでしょうか。

自分の手元にある『漢字源』という字典では、ベン(呉音)・ビン(慣用音)・ヘン(漢音)という音があることが確認できますが、「排泄物の意味は「べん」で、運送機関の輸送や手紙という意味では「びん」だ」という対応は見られません。
つまり、ベンとビンの使い分けは、漢字本来の使い分けではなく、日本語において生じたものと考えられます。
類似事例 「省」について調べると
「重」と似た状況にある「省」という字について調べます。
『漢字源』で「省」を調べます。
省の音読み

左の画像のように、省は[一][二]という二つの意味により、読み方が分かれています。
[一]は「かえりみる」、[二]は「はぶく」「役所」という意味です。
しかし、ここが大切なのですが、[一]・[二]それぞれに、
セイ(漢音)・ショウ(呉音)
という音読みがあります。
これは、「セイ」と「ショウ」という音読みによって、意味が分かれているわけではないということです。
「日本では・・・」が問題
しかし、この辞典を読み進めていくとこんなことが書かれています。
「注意 読み 「内閣の中央官庁」「中国の行政区画」の意味では「ショウ」と読む。」
あれっ、「セイ」と「ショウ」は読み分けしないんじゃないの?
ということなのですが、ここの「注意 読み」はあくまで「日本語での話」ですよね。
更に「解字」の「語源」を読むとこんなことも書かれています。
「省には「かえりみる」と「はぶく」の二つの意味がある。・・・日本では前者の場合セイと読み、後者の場合ショウと読む。」
「省」の事情をまとめると
チャイナ(中国)では、もともと意味に応じて別の発音だったが、それらは日本語としては「呉音」「漢音」とも共通である。発音と意味の対応はないはずである。しかし、実際には、日本ではセイとショウで使い分けが生じている。
日本におけるセイとショウの使い分けは、何に由来するのか
まず、役所などで使われるショウは、上のほうで述べた通り、律令用語に呉音が浸透しているからでしょう。
そして、セイという漢音は、桓武天皇による漢音奨励の勅令により、漢籍は基本的に漢音で読むことによると思われます。
ただ、「はぶく」の意味で日本では「しょう」と読む由来はよくわかりません。
「はぶく」のショウはなんなのか
なぜ「はぶく」の場合、「省」は「しょう」と読むのでしょうか。それは多少僕の憶測も含んで書きます。
そもそも、複数の例外がある【ここ、かなり重要です】
日本では「はぶく」という意味の場合、「省」は「しょう」と読むのですが、実はこれには例外があります。
「漢字源」は、日本では「はぶく」の場合ショウと読むなどと言っておきながら、熟語として、こんな熟語をサラッと記載しています。
「省文」セイブン
①漢字の点や画をはぶいて書いた漢字。略字。
②文章の句をはぶくこと。
「なんや、「はぶく」はショウと読むと言いながら、舌の根も乾かないうちに「セイ」と読んでいるやないかい」と言いたいところですが、実際そのとおりです。
ちなみに「全訳漢辞海」という辞典でもこの熟語の読みは「セイブン」になっていました。
もし、これが誤植であって、本当は「省文」は「ショウブン」とか「ショウモン」と読むのだとしたら、漢辞海ならぬ漢字界(!)を揺るがす大事件です(まあ、そこまででもないか)。
「省文」をセイブンと読むのが誤植である可能性は、残念ながらほとんどないと思われます。
実際、Web上の「goo辞書」でも、省文(せいぶん)という言葉は載っています。省字(せいじ)という言葉もあります。
コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」では、「省略」の解説で「古くは漢音で「せいりゃく」と読まれる場合の方が多い。」と書いています。
それでも「はぶく」の場合はショウと読む傾向はあるよね
まあ、上記のような例外はあったとしても、大体において、漢字源が言っているように、「はぶく」の場合ショウと読みます。あくまで大体においてです。
それはなぜなのでしょうか。
はっきり言いますがわかりません。(まあ実際、上記のように例外がいくつもあるので大して考える気も失せていますが。)
ただ、漢字源の次の記述がヒントになります。
「意味変化に対応して、字体が生を少に替えて省に変わった。」
僕の考えでは、
「はぶく」の意味の場合は、省の上の「少」を見て、「少ない 少ショウ」だからショウと読むのね。
という感じで「ショウ」という読み方が広まったのではないかという感じがします。
「はぶく」の場合セイと読むのは誤りというのは嘘です
「はぶく」の場合「省」を「しょう」と音読みするのは、傾向です。
「はぶく」の場合「省」を「せい」と読むのは誤りなんてことはありません。
はっきり言いますが「ガセ」です。
言葉としての読みの正誤は、あくまでも、漢字としての音読みではなく、日本語においての言葉としての読みを調べる必要があります。
「重複」の昔の読み方
では、日本語における「重複」の昔の読み方はなんでしょうか。
昔の読み方を調べるのは簡単ではない
昔の読み方を調べようとして、そこにはいろいろ問題があります。
まず、昔というのはどのくらい前なのか、という問題があります。
そして、どうやって調べるのかという問題もあります。
まあ、昔の辞書になんて書いてあるのか、ということを調べるしかないでしょう。
国会図書館のデジタルコレクション
うだうだ言っていても仕方ないので、話を進めます。
現実的に僕が調べることができる古い辞書は、国会図書館のデジタルコレクションにあるものです。
言海
近代国語辞典の始まりは『言海』(出版年月日1889-1891)であると一般的には言われています。そして、国会図書館のデジタルコレクションでも言海を見ることができます。
言海には「ちょうふく(重複)」が載っています。
リンクは自由にはってよいそう(リンクは自由に張っていただけます。)なので言海の「ちょうふく」(重複)のページへのリンクを張っておきます。

画像でも載せておきます。
それに対して、言海の「じゅうふく」に相当するページには「じゅうふく」(この辞書のかなづかいでは「ぢゆうふく」)は載っていません。

辞書に載っていないことが即誤りということにはなりません。しかし、やはり辞書に載っていない読み方はどうなのかなと思いますね。
和漢雅俗いろは辞典
言海だけでは心もとないので、デジタルコレクションで別の辞書を見てみましょう。
『和漢雅俗いろは辞典』(出版年月日1888-1889)です。「ちようふく」はあります。
和漢雅俗いろは辞典「ちようふく」のページ

このページの「ちようふく」の部分の画像です。
それに対して、「じゅうふく」(この辞書の仮名遣いでは「ぢうふく」)はありません。
画像はこの通りです。
「重複」を「じゅうふく」と読むのは(間違えとは断定できませんが)かなり旗色が悪くなってきましたね。
「じゅうふく」が載っている辞書(でも、空見出し)
では、昔の辞書で「じゅうふく」が載っている辞書はないのかというとそんなことはないですね。
辞林(出版年月日明40.4)です。
このように「じゅうふく」(この辞書の仮名遣いでは「ぢゆうふく」)は載っています。つまり、「じゅうふく」という読み方は、最近の物を知らない若者が言い出した読み方かというとそんなことはないですね。
ただ、これを見てわかるとおり、「じゅうふく」は、「ちようふく」に同じというカラ見出しなんですよね。
やはり、「重複」の正統な読み方は「ちょうふく」であると言えますね。
結論
「重複」の正統な読み方は「ちょうふく」とされている。
しかし、「じゅうふく」と読むのは誤りであるという説は根拠が薄い。
僕の考えでは、誤っていないからと言ってその読み方を押し通すのではなく、正統とされている読み方をしておいたほうがいいのではないかな、と思います。
以上です、ケンケン。
註釈- 自分の重さという意味では「じじゅう」[↩]
- もっとも、重箱はそれこそ重箱読み(!)なので、別な考慮が必要かもしれない。[↩]
- 新明解国語辞典第七版では「けんどじゅうらい」を見出し語とし、説明の中で「けんどちょうらい」という読みを示している。明鏡国語辞典第三版では「けんどちょうらい」を見出し語とし、説明の中で「けんどじゅうらい」という読みを示している。[↩]
- この辞書での表記は、正確には反転・四角・漢数字の一二である。[↩]
- [一]と[二]は逆かもしれないが。[↩]
- 歴史的仮名遣いではヂユウ[↩]
- [一]の「姓の一つ」という意味は省略。[↩]
- 『全訳漢辞海』は『漢字源』とは、数字記号の使い方が異なるのですが、前述の『漢字源』に合わせます[↩]
- 更に言えば、「明朝」も、王朝名の場合や「明朝体」の場合は、「みんちょう」と読みます。[↩]
- 「びん」は呉音であるという説もあります。[↩]
- もちろん、促音化して「にっ」になることはあります。[↩]
- 饅頭の「じゅう」という読みが何なのかは措きます。[↩]
- ちなみに「仕事が楽だ」という「らく」は日本での用法です。[↩]